::: プロデューサー日記 :::
山下 治城
Haruki Yamashita
チーフ・プロデューサー
チーフ・プロデューサー
鳥取県 倉吉市
■趣味
舞台を見る。映画(ドキュメンタリーからアニメーションまで)。読書。
■座右の銘
大局観とディテイル
■尊敬する人
宮崎駿
■好きな食べ物
カレー・ラーメン・寿司・蕎麦
■プレイスポット
劇場&映画館
■チャームポイント
ものを見る、まなざし。
■一番大切なものは?
自分に正直であること。
■休日何してる?
舞台鑑賞・映画鑑賞・料理
■好きなCMは?その理由は?
サントリーローヤル「ランボー」篇 学生時代に見た、このCMがきっかけで、僕はこの業界に入った。
■どんなPrになりたい?
矜持をもった人間として生きていきたい。
【代表作品】
◎エステー化学:消臭力
◎三井住友海上火災:企業
◎総務省:参議院選挙
◎レダ:プチシルマ シリーズ
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2008/08/23 - 09:17
「折り返し点1997~2008」宮崎駿(@岩波書店) 趣味の周辺。
宮崎駿の「出発点1979~1996」を読んだのは10年以上前のことになるだろうか?
その本は宮崎駿の発言やどこかで書いたり対談したりしたものをまとめたものだった。
ナウシカ以前から、「紅の豚」の製作あたりまでについてがまとめられていた。小さく発表されたものも全て網羅するような勢いで作られた本書を読んで感動したことを覚えている。
34歳のときのことだった。
こうやってものを作っていかなければならないんだという
覚悟みたいなものを教えてくれたような気がした。
映画造りとは一つの目標に向かって
スタッフ全員が奮闘努力しながらにじりよっていくような作業である。
という宮崎駿の言葉が僕の中に長く残っている。
特にアニメーションは膨大な作業をこつこつと
高いレベルで続けていかなければならない。
先日見たプロフェッショナルで宮崎駿が語った独り言がリンクする。
「ああ、めんどくさい、めんどくさい、ああ、めんどくさい!」
という言葉がそのことを語っている。
宮崎駿は決して温厚な子供好きのおじさんというだけではない。
自らも語っているがその中にある凶暴性みたいな面が、
こういったものを読むとうっすらと感じられる。
ある緊張感を伴う環境を作る。
ものを作るというのはそういったところがある。
ただ、楽しいだけで作れるというものではないんだということは重要なことである。
緊張感を持ちつつ結果的に楽しいものになるのかもしれないが
四六時中楽しい状態というわけにはいかない。
そこから出てくる奇妙なもの、
うんうんうなりながら何かわけがわからないものが出てくる、
いやひねり出すというところから全く新しいものが生み出されるのであり、
その努力なくしてはあれだけの仕事が出来ないということである。
本書は1997年の「もののけ姫」から
「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」そして「崖の上のポニョ」の
企画段階までに宮崎駿が発言したり、書いたり、
対談したりしたものがほぼ網羅されていると言っても過言ではない。
そんな本なのである。
今回は岩波書店から出版されている。
「出発点」と同じ徳間書店から第二弾として出なかったのは何故か?
岩波の編集の強い意向で実現したものだからなのか?
宮崎駿はこのような本を別に出したいと思ったわけでなかった。
しかし、僕のような宮崎フリークにとっては
改めて宮崎駿の発言を再読しながらしかも
総合的に考えながら読める貴重なものである。
通して読んでみると宮崎駿には一貫性がある。
子供たちに明るい未来を残したい、子供たちに楽しんで欲しい。
そしてそれを描くときに自分の中の問題が
無意識に詰め込まれていなければならない。
その問題意識は高く、自分に嘘をつかない。
そこからさらに飛翔してあのような作品群が生まれてくる。
それは大衆性との狭間での葛藤のあらわれでもある。
その葛藤の中から多くの人が見る、
見たいという作品が出来上がるのである。
いま、「ポニョ」の話をすると大抵の人が見ており、
「ポニョ」の話はオリンピックの話と同じような共通言語となる。
それが映画の大衆性である。
宮崎駿はそのメジャー感を獲得するために
自己と葛藤を続けるのである。
そして彼を支える、プロデューサーの鈴木敏夫、
彩色の保田道代、ココロの師でもある5歳先輩の高畑勲などが周囲にいる。
さらに若手のスタジオジブリのスタッフたち。
半径3メートルから企画して考える宮崎駿は
自らの眼をカメラとし、じーっと対象を見つめ、
その記憶が脳の奥底にしまわれていく。
そして脳内で様々なイメージの記憶が発酵し
組み合わさりまったく新しいものが生まれてくる。
この手法に見習うべきものは多い。
リファレンス(参考資料)をもたないイメージの創造がそこにある。
もちろん、リファレンスを持つと言う事が無意味なこととは思わない。
宮崎駿がジブリ美術館を作ったときの言葉が印象的だった。
ジブリ美術館に子供を連れてくる親は、
それを記録するために子供たちを猫バスのところに座らせて写真を撮ろうとする。
子供たちはただ猫バスで遊びたいだけで、
写真を撮られることを望んではいない。
親たちは記録することに一生懸命である。
これはどこかおかしい。
美術館を体験してもらいたくて作ったのに
記録するために来てもらうのは違うかなと。
そこで美術館内での写真撮影は禁止したのです。
と語った。
今や、ほとんどすべての携帯電話にカメラがつき、
何かあると人々は携帯をかざす。
そうやって彼らはそこで起きている事を本当に記憶できているのだろうか?
本当に心の中に留める行為ってそんなことなのだろうか?
という本質的なメッセージがそこに含まれている。
印象的だった宮崎駿の発言。
映画の一番いいところは映画館で見た人がつまらないって腹をたてることなんです。
(中略)
つまり評論がまだ存在し得るんです。
評論家が腹を立てる事が出来るわけです。
それが僕は映画の最大の可能性だと思っています。
最後に宮崎駿が「あとがきにかえて」で語ったメッセージの中で
保育園設立の経緯になった箇所を引用する。
「保育園を作りたい」と思ったのは、
きれいごとでなくて、子供たちによってこちらが助けられるからです。
子供たちを見ていて感じることは、
やっぱり希望なんです。
「年寄りは、小さな子供を見ていると、幸せな気持ちになるんだ」
ということがよくわかりました。
先日発売された雑誌「CUT」に「崖の上のポニョ」を中心とした
宮崎駿と渋谷陽一の対談が載っている。面白い。
ポニョを読み解くのにとてもいいテキストになる。
2008/07/25 - 09:12
「崖の上のポニョ」2008年日本(@ワーナーマイカル妙典) 趣味の周辺。
夏休み、こどもがたくさん居る。地元のシネコン。
公開されてから間もないからかもしれないが、
なんと!朝の8時半から上映が行われている。
こどもたちは6時半からラジオ体操をして?
帰って来て朝ご飯を食べてから映画館に来ても十分に間に合う時間。
この映画館は拙宅から徒歩数分の場所にある。
しかし、めったに足を運ぶことはない。
普段は、主に都心の映画館で見る。
場所柄家族連れが多い。
というかこの映画だから子供と一緒に来ているのだろう。
昔の「東映マンガまつり」のような。
そういえば東映動画が宮崎駿の原点である。
小学校のときに鳥取県の倉吉の映画館でみた東映アニメの
「長靴をはいた猫」は今でも強く記憶に残っている。
そこからずーっと、宮崎駿の作品とともに大人になっていった。
水中の様々な生物が息づいているシーンから始まる。
海の中の多様な環境がアニメーションで表現されている。
今回、ジブリが宮崎駿が挑戦したのが、
どれだけ手書きアニメを動かすことが出来るのかを
ストイックに突き詰めた作品と言えるだろう。
細部に至るまで様々なオブジェクトが柔らかくたゆたいながら動いている。
カタチが変容しながらたくさんのものが
動いているということは創造するだに、大変な作業である。
ある種の忍耐と時間をかけて
人生を削りながらアニメーションに命を吹き込んでいく作業の結果が出ていることが
映画を見ると良くわかる。
そのアニメーションに対する情熱を感じてココロ討たれる。
ポニョは水中の棲みかを離れて一人広い世界へ。
そこで5歳の男の子ソウスケに出会う。
ソウスケのお母さんは近くのデイケアセンターみたいな施設で働いている。
そこには保育所が併設されている。
これを観ていると宮崎駿がいつも語っている
様々な問題がさりげなく表現されている。
海のゴミ問題。老いるということ、老人と子供が同じ環境に居るということ。
子供が持つ勇気。母親の勇気。そして父親とのつながり。
コミュニケーションの本質。自然の持つ優しさと脅威。
などなど。
様々な要素がエンターテイメントを通じて表現される。
すぐには効いてこないものなのかも知れないが
何かを感じるきっかけになってくれるのだと思う。
面白かったのは水の波の表現に関して。
宮崎はこの映画で大きな波をまるで大きなお魚の群れのように描いた。
自発的な運動体として波を描く。
この発見のことは以前オンエアーされた「プロフェッショナル・宮崎駿」に詳しい。
一枚の宮崎駿のイメージボードがこのようなダイナミックな絵になるのか!
というのが驚きである。
暴風雨の中、デイケアセンターからいったん、
崖の上の自宅にソウスケとお母さんがクルマで戻るシーンがある。
圧巻。
大きな波が襲い掛かる。と、その大きな波に乗って水しぶきをあげながら
その上を走るように滑るようにやってくる女の子がいる。
人間となったポニョである。
ここの表現を見るだけでも一見の価値はある!
個人的に最も感動したシーンは
自宅に居たソウスケが船の乗組員である父親と
光のモールス信号で交信するところ。
窓外を双眼鏡で見張っていたソウスケは
ついに父親の乗る船を発見。
そこで父子が照明灯をチャカチャカさせながら
モールス信号で交流する。
この映画には、携帯電話は一切出てこない。
2008/06/13 - 07:58
「山のあなたー徳市の恋」2008年日本(@テアトル新宿) 趣味の周辺。
清水宏の「按摩と女」(1938年)を初めて見たのは昨年のことだった。
奇妙な印象に残る映画だった。
石井克人監督はその「按摩と女」をそっくりそのままカラーに置き換える実験を行った。
そこから見えてくるものと
見えてこなかったものによって「按摩と女」という映画の中に隠れていたものが
あぶりだされ、リメイクされた「山のあなたー徳市の恋」との違いを発見し
面白く思えた。
細かく分析するというようりも、映画としての両者の読後感について
考えた。
まずは圧倒的に撮影の技術が向上しているので
その情報量の豊富さには目をみはる。
雨の河原にかかる沈下橋に蛇の目傘を持って佇む
マイコの姿は本当に美しい。
ああ、こういったシーンをきちんと見られることの幸せといったらない。
ただし、見えすぎることによる弊害もある。
それはここから後ろはマットペインティングだろうか、
このシーンはグリーンバックで合成されているのではないかと
勘繰ってしまう自分がいる。
また、俳優が違うというところが最も大きな差を出している。
まったく同じように作ろうとしても
その時のオリジナルになってしまうということである。
草薙剛の演技と身体がいい。
加瀬亮の顔がいい。
マイコは最初、本当に彼女で良かったのかと気になってはいたが、
見ているうちに彼女の美しさも含め好感を持つ。
そして三浦友和がいい。
彼は当代きってのバイプレイヤーになった。
そして、この映画で最も素晴らしかったところは、
清水宏の持っている、この映画の「飄逸さ」というようなものを
しみじみとした心情を下敷きにしながら描いたことにである。
そのとぼけたような味わいの中からメクラである徳市(=草薙剛)と
東京から来た女、三沢(=マイコ)の結ばれない恋が描かれる。
そういえば、これってフェリーニの「道」にも似ているなあと思った。
美しく不幸な女とそれを守ろうとして守れない心優しい男の物語である。
この構造には人間の心を揺さぶる普遍的なものがある。
清水宏35歳のときの作品を石井克人が40歳を過ぎて甦らせた、
と思ったら実は石井監督のオリジナルになっていた。
という、
石井監督のおとぼけが静かに表出している佳作である。
2008/02/10 - 02:49
「それは秘密です(東京版)」満劇(@ウッディシアター中目黒) 趣味の周辺。
満員劇場御礼座、通称「満劇」は、
大阪の会社員の方たちが中心となって活動している劇団である。
久しぶりの東京公演である。
以前、目黒のD&DEPARTMENTで行った公演から数年が経過している。
大阪公演も含めてだと年に1度くらいのペースで公演を行っている。
仕事をしながらもこのレベルの舞台を
やり続けている根性に頭の下がる思いである。
一昨年の12月の大阪公演は思い出深い傑作だった。
今回はこのときの舞台の再演と
新作が追加されたものである。
満劇はいくつかのショートドラマ(コント)が
オムニバス形式で上演される。
ここの劇団はこのようなスタイルが主流である。
出演者は2-3人。
こういったやり方が現実的なのだろう。
出演者と演出家が揃いやすいし、稽古をするのにもユニット毎に行える。
仕事をしながら、全員が揃って一ヶ月間、
稽古をやり続けるなどということは至難の業である。
大体1話20分から30分。
今回、6話分を一気に上演したので、
休憩5分を挟んで2時間45分の長丁場となった。
テーマはタイトルにもあるように「それは秘密です」。
何らかの秘密を抱えた者たちのショートストーリーである。
作・演出は、淀川フーヨーハイ(3話)、あべの金欠(2話)宮崎仁誠(1話)。
淀川フーヨーハイの脚本は、
中年男の哀愁が漂う感慨深い物語がベースにある。
年齢を重ねたものが直面するコトと、
彼らが捨てきれない煩悩をどうしようもないなあと思いながらも
愛情深いまなざしで見つめている。
それは、やわらかなペーソスに包まれ、
独特な間合いの演出も相まって、笑える現代的な舞台になっている。
少し、都会的で洒落ているのである。
ある知性が、
演出の奥ゆかしさを加速させている。
それを関西弁でやるのがいい。
関西弁でやる都会的な演劇はなかなかない。
ほとんどオンリーワンといっていいほどのポジションを確立している。
これは、ほんま、浪速のウッディアレンとちゃいますやろか?
あべの金欠はもっとベタである。
新作「眼鏡」は中年夫婦の思い出を、
「献血記念日」は親子の関係を描く。
松竹新喜劇のような人情話の系譜がここにある。
再演「献血記念日」は傑作である。
キャストの組み合わせもいい。
父親役のライス大が本当にいい味を出すようになった。
この年齢でこのような味のある役者はなかなか居ない。
何故か、井川比佐志を思い出す。
これくらいボケを出せる役者は貴重である。
この父親を突っ込む息子役の堂島サバ吉がいい。
彼の突っ込みの間合いは天性のものなのか?
その絶妙なタイミングが笑いを誘う。
演出をわかりやすくさせようというのは、
あべの金欠の狙いなのか?
音楽の挿入などが、ギャグなのか、
情緒的にするための方策なのかが分かりにくかった。
観客の想像力は
この大きさの小屋なら十分に委ねられる。
この日は、公演前に降りだした雨が、公演中にいつしか雪に変わり、
劇場の外に出てみると、数センチの積雪となっていた。
静かな雪の降る中目黒商店街だった。
大阪の会社員の方たちが中心となって活動している劇団である。
久しぶりの東京公演である。
以前、目黒のD&DEPARTMENTで行った公演から数年が経過している。
大阪公演も含めてだと年に1度くらいのペースで公演を行っている。
仕事をしながらもこのレベルの舞台を
やり続けている根性に頭の下がる思いである。
一昨年の12月の大阪公演は思い出深い傑作だった。
今回はこのときの舞台の再演と
新作が追加されたものである。
満劇はいくつかのショートドラマ(コント)が
オムニバス形式で上演される。
ここの劇団はこのようなスタイルが主流である。
出演者は2-3人。
こういったやり方が現実的なのだろう。
出演者と演出家が揃いやすいし、稽古をするのにもユニット毎に行える。
仕事をしながら、全員が揃って一ヶ月間、
稽古をやり続けるなどということは至難の業である。
大体1話20分から30分。
今回、6話分を一気に上演したので、
休憩5分を挟んで2時間45分の長丁場となった。
テーマはタイトルにもあるように「それは秘密です」。
何らかの秘密を抱えた者たちのショートストーリーである。
作・演出は、淀川フーヨーハイ(3話)、あべの金欠(2話)宮崎仁誠(1話)。
淀川フーヨーハイの脚本は、
中年男の哀愁が漂う感慨深い物語がベースにある。
年齢を重ねたものが直面するコトと、
彼らが捨てきれない煩悩をどうしようもないなあと思いながらも
愛情深いまなざしで見つめている。
それは、やわらかなペーソスに包まれ、
独特な間合いの演出も相まって、笑える現代的な舞台になっている。
少し、都会的で洒落ているのである。
ある知性が、
演出の奥ゆかしさを加速させている。
それを関西弁でやるのがいい。
関西弁でやる都会的な演劇はなかなかない。
ほとんどオンリーワンといっていいほどのポジションを確立している。
これは、ほんま、浪速のウッディアレンとちゃいますやろか?
あべの金欠はもっとベタである。
新作「眼鏡」は中年夫婦の思い出を、
「献血記念日」は親子の関係を描く。
松竹新喜劇のような人情話の系譜がここにある。
再演「献血記念日」は傑作である。
キャストの組み合わせもいい。
父親役のライス大が本当にいい味を出すようになった。
この年齢でこのような味のある役者はなかなか居ない。
何故か、井川比佐志を思い出す。
これくらいボケを出せる役者は貴重である。
この父親を突っ込む息子役の堂島サバ吉がいい。
彼の突っ込みの間合いは天性のものなのか?
その絶妙なタイミングが笑いを誘う。
演出をわかりやすくさせようというのは、
あべの金欠の狙いなのか?
音楽の挿入などが、ギャグなのか、
情緒的にするための方策なのかが分かりにくかった。
観客の想像力は
この大きさの小屋なら十分に委ねられる。
この日は、公演前に降りだした雨が、公演中にいつしか雪に変わり、
劇場の外に出てみると、数センチの積雪となっていた。
静かな雪の降る中目黒商店街だった。
2008/02/08 - 00:51
「新しい橋」城山羊の会(@駅前劇場) 趣味の周辺。
山内ケンジは変わった。
山内健司から山内ケンジへ演劇をするときの名前を変えた以上に変わった。
彼の中でどんな変化があったのだろうか?
あきらかに深化している。
人間の描き方がこれまで以上に深く、
その深遠にはどうしようもない現実が横たわっている。
その現実と向き合いながら人は生きていく。
歳を重ねるということは、それに向き合うことだと思う。
随分前に山内さんから
今度はベルイマンの「ある結婚の風景」みたいなものをやりたい
というメールが来ていた。
昨年亡くなった、ベルイマンの遺志を継ぐものがここにいる。
夫婦の関係の話。
数組の夫婦と夫婦だったものたちが登場する。
クラシックの美しい調べが幕間で効果的に使われる。
深浦加奈子が出色である。
やはり山内ケンジの舞台に彼女は欠かせない。
あるきっかけから深浦加奈子がアルバイトを始める。
その時のホテルの一室でのシーンから観客は釘付けになる。
少しだけ長いエピソードから一気に夫婦関係が変わり新しい関係に転換していく。
その理由は?
何故、夫婦関係の危機が始まったのか?
家族に何が起こったのか?
最後まで真相は明らかにされない。
二人の間に出来た娘が
自傷行為を繰り返し幾度となく入院を繰り返している。
その娘にキチンと向き合うことの出来ない夫婦が、
その現実に耐えられなくなり現実逃避を行いはじめる。
しかし、結局その現実逃避は、一時的なものに過ぎない。
家族とはそのようなものである。
結局、一生付き合っていかなければならない唯一無二の存在。
山内ケンジは、「家族の関係」ということについて深く
考察してみたのかもしれない。
その思考の結果が今回の舞台となって結実している。
そんな気持ちになった。
丁寧な演出が舞台から品の良さみたいなものを立ち昇らせる。
山内さんがNOVAのCMで起用した、
古館寛治が深浦加奈子の夫役である。
また、小浜正寛(ボクデス)と石橋けいも今回の舞台で新しく起用された。
全ての役者のアンサンブルが素晴らしい。
その調和が舞台の品格につながる。
石橋けいのメガネ姿がいい。
山内さんはメガネをかけた美人の役が好きである。
濃厚なキスシーンはそのシチュエーションと
合わせてドキドキするシーンだった。
1950年代の日本映画の黄金時代に作られた
愛憎たっぷりのプログラムピクチャーを彷彿とさせる。
そこに現代的なエピソードや要素が盛り込まれるのだが、
読後感としては、そのころの良質な
日本映画を見ているような印象がある。
ラストのシャープな暗転が格好いい!
2月11日まで下北沢駅前劇場にて!
日曜日の夜の回(19:30〜)はまだチケットに余裕があるらしい。
問い合わせは「[城山羊の会]http://e-pin.jp/shiroyagi/top.html」へ。
2008/01/30 - 00:49
「『美しい』ってなんだろう?・美術のすすめ」森村泰昌(@理論社) 趣味の周辺。
よりみちパンセシリーズの中の1冊。
「パンセ」とはフランス語で思索・思考の意味だそう。
またパスカルがキリスト教護教諭のために書いた断章の集成とも。
1670年刊。瞑想録とも記されている。(「広辞苑」より。)
そのよりみちの思索の中で「美術」が語られる。
森村泰昌は日本の代表的な現代美術家である。
彼が自ら出演している、名画そっくりの写真は一度見たら忘れられない強さがある。
この人は、女装趣味がある人なんだろうか?
と最初思っていたのだが、本書を読んでみると、
純粋な美術家としての活動を真摯にやっているという印象を受けた。
もちろん、男性にも女性的な部分が、女性にも男性的な部分があり、
そのどこを表現するのかというようなことを森村さんは語っていた。
なるほどと、納得。
森村さんが名画の女性を演じるのは、
歌舞伎役者が女形を演ずるのにも似たようなものかもしれないなと思った。
残念ながら行く事が出来なかったが、2007年に横浜美術館で行われた、
「森村泰昌展」はなかなか刺激的だったと見に行った人に伺った。
本書の中で語られていることは、実はものすごく普通のことである。
「美しい」ということ「美しい」と感じることには様々な側面があり、
個人によってその感じ方は違う。
しかし、そのことを考えることによって「美しい」の多様性を知り、
人生や世界の奥深さと面白さを知ることになるのですよ。
ということを、手を変え品を変え語っているのが本書の大きな特徴である。
この「よりみちパンセ」シリーズは
小学校高学年から高校生くらいに向けて出版されているものなのだろう。
この年代に向けて、難しい漢字などにはルビがふられている。
新しいジャンルのことを学ぶ際に、
中学・高校生向けの本は非常に役に立つ。
知識がそんなになくても読んでいけばわかるということを
基本に書かれているからというのが、最初の理由である。
さらに、テーマの中で物事の中心にある本質的なものを
いかにわかりやすく提示できるかということに注力されて書かれているから。
ということがふたつめの理由として考えられる。
本書の中から印象的なフレーズを引用する。
芸能とは絶対にウケないといけない世界である。
芸術とは、ウケなくてもやらねばならない世界を持つことである。
また、
知るだけでは頭でわかっていても気持ちがついていけないということがあります。
ですから、やはり感動できることがとても大事なんですね。
感動できれば、もうあなたはそれを美しいと感じている。
感動とともに、「美」はあなたに宿ってくるはずです。
と、ココロが動くこと、頭でっかちではない身体で感じることの
重要性を森村さんは何度となく語っておられました。
2007/07/08 - 11:09
「シャングリラ ?」松任谷由実(@横浜アリーナ) 趣味の周辺。
新横浜駅から続く人の波は
横浜アリーナへと途切れることなく続いていた。観客11000人。
出演者の数も多い。
ざっとみて50名以上のダンサー、パフォーマー、アクロバット、
空中ブランコ、シンクロナイズドスイマーなどなど。
とにかく豪華絢爛、ものすごい迫力と物量で迫ってくる。
これこそケレン味というのだろうか?
ケレン味が、きちんとエンターテイメントに昇華しているものは強い!
蜷川幸雄しかり、コクーン歌舞伎しかり。
本公演は、?とあるように三回目の「シャングリラ」である。
4年に一度行われているらしい。
第1回目は8年前だったそうである。
オリンピックのようなスパンで行われる貴重な舞台を
見ることが出来て本当に良かった。
EMI MUSICの方々のおかげです!
いきなり、オープニングで驚く!
しかし、これはネタバレになるので書かない。
シンクロのスイマーたちが舞台中央にしつらえられた
円形プールで泳いでいるのだが、
どのような仕組みで舞台セットが変化していくのか?
どのような段取りで、パフォーマンスのための道具が
同時並行で作り込まれていくのか?
もともと、これらの舞台装置は全てこの舞台のためだけに
作られたものなのか?
考え出すととまらなくなり、このイベントはいったい
幾らの予算が投入されているのだ!という気になる。
これが12000円で観られるなら惜しくない!
朝日新聞のレビューで小倉エージ氏も書いていたが、
「時のないホテル」のスパイ合戦のアクロバットは本当に凄かった。
生の身体をここまでアクロバティカルに見せる人間の凄さを感じる。
女スパイだと思われる真っ赤なトレンチコートを着ていたYUMINGが、
後に砂漠の戦士の真っ白な衣裳に変身し唄い続ける。
スパイたちは右往左往し、いろんな国での紛争のモチーフが描かれる。
大きな赤い旗を振り回すスパイたち。
その周囲のいろんなところから炎が吹き出す。
これは石油の象徴でもあり、戦火の象徴でもある。
彼らは石油のために戦争をする。
しかし、実はそんなテーマはどうでも良いのかも知れない。
そこでYUMINGとともに左右に揺れるゴンドラに飛び乗ったり
飛び降りたりするスパイたちのアクロバティックを見るだけで
身体を強く感じることが出来る。
このシーンのラストは圧巻である。
今回の公演のテーマは「ドルフィンの夢」。
海洋ドキュメンタリー映画「アトランティス」(リュック・ベッソン監督)の
字幕翻訳をかってでた、YUMINGらしいテーマの選択である。
全体を通じて描かれるものは、浮遊感である。
夢のような浮遊感をテーマに身体が浮遊するという感覚が
どのように表現されるのかということを、
手を変え品を変え行い続ける。
そこから僕たちが感じ取れることは、身体への信頼である。
空中ブランコのパフォーマーたちが
次々と下にあるネットに落下していくシーンは
今思い出しても素晴らしかった。
「浮遊感」を描いたもっとも象徴的なシーンと言えるだろう。
最後のスタッフ紹介でYUMINGが
全てのスタッフの名前を呼んで紹介するシーンがまた印象的だった。
YUMINGが彼らの才能と彼らを愛し全面的に信頼して、
たおやかなココロで受け入れ共存する姿がまるで、
菩薩のようであり天女のようでもある。
その大きなココロで包まれた会場は
本当に「優しい気持ち」に包まれるのである。
横浜アリーナへと途切れることなく続いていた。観客11000人。
出演者の数も多い。
ざっとみて50名以上のダンサー、パフォーマー、アクロバット、
空中ブランコ、シンクロナイズドスイマーなどなど。
とにかく豪華絢爛、ものすごい迫力と物量で迫ってくる。
これこそケレン味というのだろうか?
ケレン味が、きちんとエンターテイメントに昇華しているものは強い!
蜷川幸雄しかり、コクーン歌舞伎しかり。
本公演は、?とあるように三回目の「シャングリラ」である。
4年に一度行われているらしい。
第1回目は8年前だったそうである。
オリンピックのようなスパンで行われる貴重な舞台を
見ることが出来て本当に良かった。
EMI MUSICの方々のおかげです!
いきなり、オープニングで驚く!
しかし、これはネタバレになるので書かない。
シンクロのスイマーたちが舞台中央にしつらえられた
円形プールで泳いでいるのだが、
どのような仕組みで舞台セットが変化していくのか?
どのような段取りで、パフォーマンスのための道具が
同時並行で作り込まれていくのか?
もともと、これらの舞台装置は全てこの舞台のためだけに
作られたものなのか?
考え出すととまらなくなり、このイベントはいったい
幾らの予算が投入されているのだ!という気になる。
これが12000円で観られるなら惜しくない!
朝日新聞のレビューで小倉エージ氏も書いていたが、
「時のないホテル」のスパイ合戦のアクロバットは本当に凄かった。
生の身体をここまでアクロバティカルに見せる人間の凄さを感じる。
女スパイだと思われる真っ赤なトレンチコートを着ていたYUMINGが、
後に砂漠の戦士の真っ白な衣裳に変身し唄い続ける。
スパイたちは右往左往し、いろんな国での紛争のモチーフが描かれる。
大きな赤い旗を振り回すスパイたち。
その周囲のいろんなところから炎が吹き出す。
これは石油の象徴でもあり、戦火の象徴でもある。
彼らは石油のために戦争をする。
しかし、実はそんなテーマはどうでも良いのかも知れない。
そこでYUMINGとともに左右に揺れるゴンドラに飛び乗ったり
飛び降りたりするスパイたちのアクロバティックを見るだけで
身体を強く感じることが出来る。
このシーンのラストは圧巻である。
今回の公演のテーマは「ドルフィンの夢」。
海洋ドキュメンタリー映画「アトランティス」(リュック・ベッソン監督)の
字幕翻訳をかってでた、YUMINGらしいテーマの選択である。
全体を通じて描かれるものは、浮遊感である。
夢のような浮遊感をテーマに身体が浮遊するという感覚が
どのように表現されるのかということを、
手を変え品を変え行い続ける。
そこから僕たちが感じ取れることは、身体への信頼である。
空中ブランコのパフォーマーたちが
次々と下にあるネットに落下していくシーンは
今思い出しても素晴らしかった。
「浮遊感」を描いたもっとも象徴的なシーンと言えるだろう。
最後のスタッフ紹介でYUMINGが
全てのスタッフの名前を呼んで紹介するシーンがまた印象的だった。
YUMINGが彼らの才能と彼らを愛し全面的に信頼して、
たおやかなココロで受け入れ共存する姿がまるで、
菩薩のようであり天女のようでもある。
その大きなココロで包まれた会場は
本当に「優しい気持ち」に包まれるのである。
2007/02/27 - 09:23
「NARA:奈良美智との旅の記録」2007年日本(@シネマライズ) 趣味の周辺。
奈良美智の描く「女の子」のことはたいていの人が知っている。
吉本ばななの著書の表紙に彼の作品が使われたりして、一気に
多くの人が知ることになった。
奈良は12年間のドイツでの学生生活、いや創作活動、いや
本当の孤独と向き合って、あのいじわるな女の子が生まれてきた。
昨年の「情熱大陸」で奈良美智の回を見て、どんな人なのかということを
少しばかりではあるが感じとることが出来た。
ディレクターは東北新社の坂部康二だった。
今回の映画は、その番組との違いを見るという意味でもとっても興味深い。
監督はもちろん、坂部康二。
坂部監督が奈良美智を後ろから追いかける、追いかける、追いかける。
そうしてロックンロールが流れる中、奈良美智は疾走を始める。
後ろから追いかけるカメラ、決して前から撮ろうとはしない。
だって、カメラが前にあること自体不自然なことは自明であるから。
そのオープニング映像にグググっと来た。
坂部監督と、奈良美智の独特の信頼関係がそこから見えてくる。
女の子の語りが入る、味のある語り口。
淡々と耳元で囁くように。
語りは、宮崎あおい。
奈良美智が彼女の大ファンだということを知っていたので深く納得。
「ユリイカ」「害虫」以来の宮崎あおいのファンである僕も、
奈良美智にはかなわない。
坂部監督は奈良美智のことを以下のように評する。
「奈良さんは、人と出会って共同作業をするようになり、
明らかに以前の奈良さんとは変わった。それは奈良さんが描く
女の子の表情の変化にも現れている。」
なるほど、女の子の表情が、特に目が清清しさを湛えている
といったらいいのだろうか?
以前はイジワルそうな目をした女の子だったのが聖母のように
静かな慈しみをもってこちらにやさしく微笑んでいたりするのだ。
奈良さんがいろいろな場所で個展を行い、その旅の中で
また、いろいろな人たちに出会う。
小屋を作るgrafのスタッフたちもいつも一緒である。
一緒に廃材を集め小屋を建て、その中に奈良さんの描いたもの
作ったもの、集めたものなどが配置される。
ソウル、バンコク、横浜トリエンナーレ、そして昨年の集大成だった
弘前。奈良美智の生まれ故郷でもある。
彼自身は口べたで多くを語らない。
津軽訛りがいまだに残り朴訥な印象を受ける。
その彼が地元に対して出来ることを懸命にやり、
手伝ってくれるボランティアの方々がどんどんと増えてくる
その人数に圧倒された。これだけの人たちが奈良美智のことが
好きで一緒に手伝ってくれる。
奈良美智は自分の作品作りにとって、
多くの人たちがかかわってくれることが
いいことなのか悪いことなのかわからないと言う。
ものすごく、正直な回答だと思う。
そういった思いを抱えつつ今の自分が出来る事を奈良美智は
問い続けている。
ソウルで7歳の女の子に奈良美智は出会っている。
彼がアトリエで創作活動をしているとき、作品の横に
自分に言い聞かせるように、
7歳の女の子からもらったファンレターを張り出した。
彼女に嘘をつかないように作品をつくろうと。
奈良美智は語った
「彼女が、いちばん純粋に僕の作品を見ているんだよねえ。」
吉本ばななの著書の表紙に彼の作品が使われたりして、一気に
多くの人が知ることになった。
奈良は12年間のドイツでの学生生活、いや創作活動、いや
本当の孤独と向き合って、あのいじわるな女の子が生まれてきた。
昨年の「情熱大陸」で奈良美智の回を見て、どんな人なのかということを
少しばかりではあるが感じとることが出来た。
ディレクターは東北新社の坂部康二だった。
今回の映画は、その番組との違いを見るという意味でもとっても興味深い。
監督はもちろん、坂部康二。
坂部監督が奈良美智を後ろから追いかける、追いかける、追いかける。
そうしてロックンロールが流れる中、奈良美智は疾走を始める。
後ろから追いかけるカメラ、決して前から撮ろうとはしない。
だって、カメラが前にあること自体不自然なことは自明であるから。
そのオープニング映像にグググっと来た。
坂部監督と、奈良美智の独特の信頼関係がそこから見えてくる。
女の子の語りが入る、味のある語り口。
淡々と耳元で囁くように。
語りは、宮崎あおい。
奈良美智が彼女の大ファンだということを知っていたので深く納得。
「ユリイカ」「害虫」以来の宮崎あおいのファンである僕も、
奈良美智にはかなわない。
坂部監督は奈良美智のことを以下のように評する。
「奈良さんは、人と出会って共同作業をするようになり、
明らかに以前の奈良さんとは変わった。それは奈良さんが描く
女の子の表情の変化にも現れている。」
なるほど、女の子の表情が、特に目が清清しさを湛えている
といったらいいのだろうか?
以前はイジワルそうな目をした女の子だったのが聖母のように
静かな慈しみをもってこちらにやさしく微笑んでいたりするのだ。
奈良さんがいろいろな場所で個展を行い、その旅の中で
また、いろいろな人たちに出会う。
小屋を作るgrafのスタッフたちもいつも一緒である。
一緒に廃材を集め小屋を建て、その中に奈良さんの描いたもの
作ったもの、集めたものなどが配置される。
ソウル、バンコク、横浜トリエンナーレ、そして昨年の集大成だった
弘前。奈良美智の生まれ故郷でもある。
彼自身は口べたで多くを語らない。
津軽訛りがいまだに残り朴訥な印象を受ける。
その彼が地元に対して出来ることを懸命にやり、
手伝ってくれるボランティアの方々がどんどんと増えてくる
その人数に圧倒された。これだけの人たちが奈良美智のことが
好きで一緒に手伝ってくれる。
奈良美智は自分の作品作りにとって、
多くの人たちがかかわってくれることが
いいことなのか悪いことなのかわからないと言う。
ものすごく、正直な回答だと思う。
そういった思いを抱えつつ今の自分が出来る事を奈良美智は
問い続けている。
ソウルで7歳の女の子に奈良美智は出会っている。
彼がアトリエで創作活動をしているとき、作品の横に
自分に言い聞かせるように、
7歳の女の子からもらったファンレターを張り出した。
彼女に嘘をつかないように作品をつくろうと。
奈良美智は語った
「彼女が、いちばん純粋に僕の作品を見ているんだよねえ。」