::: プロデューサー日記 :::
山下 治城
山下 治城
Haruki Yamashita
チーフ・プロデューサー

■出身地
鳥取県 倉吉市

■趣味
舞台を見る。映画(ドキュメンタリーからアニメーションまで)。読書。

■座右の銘
大局観とディテイル

■尊敬する人
宮崎駿

■好きな食べ物
カレー・ラーメン・寿司・蕎麦

■プレイスポット
劇場&映画館

■チャームポイント
ものを見る、まなざし。

■一番大切なものは?
自分に正直であること。

■休日何してる?
舞台鑑賞・映画鑑賞・料理

■好きなCMは?その理由は?
サントリーローヤル「ランボー」篇 学生時代に見た、このCMがきっかけで、僕はこの業界に入った。

■どんなPrになりたい?
矜持をもった人間として生きていきたい。

【代表作品】
◎エステー化学:消臭力
◎三井住友海上火災:企業
◎総務省:参議院選挙
◎レダ:プチシルマ シリーズ




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2008/06/02 - 18:18

「発想と行動力」安藤忠雄特別講義(@早稲田大学理工学部教室) 個人の周辺

Tさんからメールを頂き、へえ!
こんな講義があるんだと思った。
しかも誰でも参加できて無料ということを聞き、
早稲田大学大久保キャンパスへ向かう。
昔ながらの教室や校舎ももちろんあるのだが、
安藤先生の講義のあった63号館はものすごく新しく
ハイテクを駆使した校舎である。
構内情報などは液晶テレビに全て表示されている。
この校舎には立て看は似合わないかもと一瞬思った。
建築学科の先生か卒業生がデザインしたであろう校舎は本当に素晴らしい。
エアコンも完備で、暑い中、セミの声を聞きながら
窓を開け放した中で聞いた
僕たちが学生だったころの大学の風景とはまったく違う光景がそこにはあった。

ぎりぎりで教室に到着。
初めて行くものには学校は迷路のようなところがある。少し迷う。
教室は立ち見が出ており生徒・教職員などでぎっしり。
横長に拡げられた教室はスクリーンが4つ並べられており、
そこにはパソコンからの映像データが映し出されている。
担当教官の挨拶の後、安藤先生のお話が始まる。

聞いていて、建築家は活動家でならなければならない、
そのためには多くの人々を説得して回らなければならない。
そのためには説得の技術を持たねばならない。
説得の技術の最初は言葉である。
安藤先生の喋り言葉はそれだけ説得力を持ちえるものである。
流暢な語りは留まる事をしらない。
もちろん大学で教えていられる回数は尋常な数ではないだろうから、
そこから安藤先生が獲得してきたこともあるのかも知れない。
満員の会場は私語を語るものは誰もいなく皆真剣に安藤先生の話を聞いていた。
それだけ面白いお話だったのである。
安藤忠雄は大阪出身の建築家だったので、
大阪に居た僕は学生時代から興味を持って、
安藤忠雄関連のイベントにいったり
実際に作られた建物を見に行ったりしたことを思い出す。
当時はコンクリート打ちっぱなしというような建築はそう多くなく、特異な個性だった。
それからの安藤忠雄はまるで疾走するかのように
多くのプロジェクトを手掛け作り続けておられる。
それは大阪に留まらずもちろん日本国内にも留まらない、
「住吉の長屋」が出来たのが
1974年のことである。
それから30数年近く疾走している姿は、本当に格好いい。
まるでアスリートを見るような感覚で安藤先生を見てしまう。
一流の芸術家と一流のアスリートに通底するものが何かある。

そして芸術家には理解者が必ず傍にいる。
それは彼自身の魅力にと理解者の魅力が出会う場所がどこかにあるということ。
サントリーの佐治敬三さんのお話をされる。
佐治さんは安藤さんと会うと新地に飲みに連れて行ってくれたそうである。
その後しばらくたって、
「ところで安藤君、君は何をやってんねん?」と質問される。
「建築家です。」と答えると。
「そうか?そしたら天保山にサントリーの美術館を作る計画があるから
やってみないか?」と佐治さんはおっしゃる。
二人は試しにどんなものを作っているのかということで
「住吉の長屋」を見に行く。
佐治さんは「なんやこれは住みにくい家やなあ。」
といいのこして帰る。翌日、佐治さんから呼ばれていくと、
「昨日の家は住みにくいが面白い、美術館をやってみたら?」
ということになったらしい。
「やってみなはれ」の精神である。
父親の鳥井信治郎譲りのこの言葉を
佐治敬三が引き継ぎ伝承する。

安藤先生がサムエル・ウルマンの詩を引用する。
「青春」という詩である。訳は宇野収。

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方である。

という一節でこの文章は始まる。そして最後に。

理想を失うとき初めて老いる。

と。安藤忠雄はこの詩の説明の後を続ける、
私たちは、はみだしていかなければならない、
はみ出していくことによってアイデンティティを獲得する。
と。
また、このようにも言う。
リーダーは判断して前へ進むことが大切である。
その判断をするというのは、実は、仕事などを通じた
ギリギリの緊張感がないと判断できない。と。

安藤忠雄から発せられる言葉は生きていく上での宝となりうる言葉である。
決して貨幣価値には変えられないものがここにあるのだと教えられた。
このようなことを二十歳くらいで聞くことの出来る
早稲田の学生たちは何て幸せなんだろうと思った。
経済的な理由と秀才でなかったという理由で
安藤忠雄という天才は大学に行かなかった。
その安藤さんが、学生たちに語る。

こんないい学校に入ったのだから死に物狂いで勉強しなさい、
たとえが悪いですが、病気になるくらいまで勉強してみてください。
と締めくくられて素晴らしい講義が終わった。
満場の拍手が会場内に響いた。


投稿者 山下 治城 | この記事のURL | コメント()

2008/04/18 - 01:22

「決断の本質」マイケル・A・ロベルト(@英治出版) 個人の周辺



新聞の記事に「決めること」についての認知科学の話が載っていた。
人間は、まず決定する。
そして、何故それを決定したのかという理屈を後でつけていく。
その決定に関しては第0感とでもいうべき、
脳の認知科学のメカニズムが働いているのだと書かれてあった。
なるほどなあと思った。

自分でもまず決めてから考えるということをやることがある。
ネットで決断に関しての認知科学の本が
何か出ていないかと調べて見た。
そのときに偶然に見つけたのが本書だった。
新聞で語られていた人間が通常行う意思決定スタイルとは全く違う、
科学的なシステムに基づいた意思決定の方法を決めるやり方について
書かれた本があるということ自体に興味を持ってAMAZONで購入した。
本書の英語タイトルは、

”Why great leaders don’t take yes for an answer
– management for conflict and consensus”とある。

ここに本書で書かれている意志決定のプロセスの本質が記されている。
また、表紙の下に、意思決定のプロセスとして4つの要素が書かれている。
4Cと本書では語る。

コンポジション(メンバー構成)、
コンテキスト(背景の設定)、
コミュニケーション、
コントロール

の4つである。
この構成要素をきちんと選び出し、
選定メンバーに分け隔てなく、隠し事なく意思決定のプロセスを
順を追って進めていく。
その際にリーダーの主導によって、対立意見や少数意見を掬い上げ、
それらの意見も俎上に乗せ、議論をする。
リーダーは自制心をもって、メンバーたちの意見を聞く事が、
まちがいのない意思決定を行う方法であると説いている。

ここで「自制心」という言葉が良くわからないのだが、
本書では「自制心というのは、恐れを感じずに
他人の意見を受け容れる能力だ」と書かれている。

そこで感じたのは、その場合、
自分の意見というものはどこから生まれて来るのか?とも思った。
それは必要ないのかもしれない。
自己の発意からくる意思決定というのは、
何かを作り始めるためのエネルギーである
「情熱」なくしては出来ないのかもしれないが、
ここで語られているのはトップリーダーが
マネージメントしていくためにいかに適切な決定を
下していくための方法だと考えると納得がいった。

その意思決定には大きなリスクが伴う。
ケネディ大統領時代の二つのエピソードが秀逸であった。
ひとつは「ビッグス湾事件」(1961年4月)
このときにケネディは決定のプロセスを用意しないままことにあたった。
結果、少数意見や反対意見を掬うことなく
ケネディは亡命兵士たちを敵国(キューバ)に送り込むことになった。
そして、作戦は失敗し、1400人近くの亡命兵士たちは命を失った。
ケネディはこの意思決定に対して反省した。
そして意思決定のプロセスを作ることにしたのである。
1962年のキューバ危機の際にそれが生かされた。
ケネディの米国の最大の危機を乗り越える事が出来た。

それでも苦渋の選択をしなければならないことはたくさんあるだろう。
しかし、その苦渋の選択は間違った選択ではないだろうということは、
この意思決定のプロセスを乗り越えてきたということから
納得できるものになるということである。
その具体的な方法が本書では微に入り細にいり語られる。

偉大なリーダーの「決断の本質」とは、
その決断の「内容」ではない。
はじめから自分の考えを押しとおすのではなく、
同僚や専門家から多様な意見を引き出すための「プロセス」を準備し、
さまざまな技術・手法を用いながら、
最後の決断に至るまでの過程を正しく運営することなのだ。

と、前書きに本書で語られる「全て」が書かれていたのだった。
これを書くまで気づかなかった僕は、意思決定者として不適格かも?
「自制心」などのカケラもない。


投稿者 山下 治城 | この記事のURL | コメント()

2008/04/08 - 02:02

「君に届け」椎名軽穂(@集英社) 個人の周辺

藤本由香里(元、筑摩書房編集者、現、明治大学准教授・マンガ研究家)
が書いた「朝日新聞」のコラムを読んだ。
何気ない話なのに、思わず涙がこぼれてしまう。
いったいこれは何だろう?そんな漫画です、と。
それを読んで、会社でその話をしたら
KTさんのロッカーから「君に届け」が出てきた。
聞いてみると、デスクのKNさんがもっているものを借りているとのこと。
早速、読み始めて、藤本由香里の文章に納得。
純粋さを極めていくと、このようなココロに染み入るものになるのか?
この純粋さはどこにから来るのか?
「別冊マーガレット」連載ということから、
若い読者(中学生や高校生)がターゲットだけに
純粋無垢なものを描いていくという手法は現実的である。
(「レディコミ」じゃないからね。)

人間関係をこのように構築できる主人公は凄いと思った。
そして読者の僕たちは彼女の成長の一挙一動を追いかける。
その中から「ともだち」を作ること「恋愛」を知ることなどが描かれる。
主人公の黒沼爽子は、学校のみんなから無視され白い眼で見られていた。
彼女のあだ名は「貞子」である。
あの「リング」や「らせん」のホラーに出てくる髪の毛の長いあの女性である。
しかし、彼女の本質はそうではないということを、
ちゃーんとわかる男の子や友人が現れる。

黒沼爽子は、表面的なだけの付き合いを決してしない。
勇気を持って面と向かって相手と向き合う。
そのリスクを全てしょって人に向き合う。
だからココロから信頼できる友に出会ったり、
ココロの底から好きだと思える相手に出会えるのだろう。
その「純粋さ」に頭が下がる思いである。
何が本当に大切な事なのか、ということを黒沼爽子は教えてくれる。
その向き合い方が不器用で一生懸命だからなおさら、
彼女のことを見ていていとおしくなる。
そんなキャラクターを描きながら本当の友人と
交流を深めながら彼女たちは生きるということの意味を見つけていくのだろう。
そこがキチント描かれているからこそ、
この漫画は多くの読者やファンをつかんでいるのだろう。
46歳のおじさんが読んでも十分に面白い、
というか、教えられる漫画がここにある。

この手法が他のコンテンツ制作にも応用できないかと思った。
底抜けにハッピーな世界はどこにあるのだろう?
それはどこから来るのだろう。
「ハッピーじゃないのにハッピーな世界は描けません」と言って
自らの命を経った、あるCMディレクターのことを思い出した。

その対極にあるものから、
新たな価値が生まれてくるのだと信じたい。


投稿者 山下 治城 | この記事のURL | コメント()

2007/11/30 - 12:21

「著作権とは何かー文化と創造のゆくえ」福井健作(@集英社新書) 個人の周辺


こういった類の本は、時間が経って判例が新しく出ると、
とたんに価値観が変わってしまう。
法律というのはそういうことを多分に含んでいる分野である。
時代とともに法律も変化する。
もちろん、国によっても、州によっても。
本書の初版発行は2005年である。
奥付に2005年5月22日第一刷発行とある。
手許にあるものは2007年9月17日発行の四刷のもの。
しかし、福井弁護士は、これを時代の流れで
消え去ってしまわないように執筆をしている。
「著作権法」の持つ根本的な意味を理解するということに
多くを割かれているのである。
「著作権法」とはこの法律によって
文化を豊かにしていくものだということが
根本にあるのだと何度となく福井弁護士は語っている。
その語り口は明晰でよどみがない。

本書を読むことによって著作権の基本概念を学ぶ事ができる。
この時代、著作権の認識なしには、何も出来ない。
たとえば、このようなブログのようなもので
自身が著作権法に触れるようなことを無意識のうちにしてしまうことがある。
本書を読むと、どこまでが許されていて、
どこまでが難しいのかが具体的な過去の事例を含めて
記述されているのである。
法律書というよりも、軽い読み物として楽しめる。

著者は文化芸術関係の著作権の事例を多く手掛けている。
実際に手掛けている現場の声がここには反映されている。
それは、どういうことかと言うと、
法律でどっちともとれるような例が実際には多くあるということ。
その決定は実は非常に曖昧で微妙なものでもあるのだなと思った。
その現場レベルでの苦悩と、
福井弁護士自身の解釈と実際の判例の差に直面して
悩む姿が行間から浮かび上がってくる。

その典型的な部分を引用する。
ある、著作権の裁判事例を受けてこの文章は始まる。


 しかし、翻って考えてみれば、
著作権法という法律自体が、そもそも他人にとって
そのプロセスは謎としかいいようがないはずの
人の創作や表現を対象にした法律なのです。
その法律を考える上で創作・表現の必然性に触れずに判断する。
それで果たして著作権はその目的をまっとうできるのでしょうか?

「創作・表現の必然性」というところに触れずに裁判をすること
に対しての大いなる疑問が提示されている。
こんなところに、福井弁護士の本音と苦悩を感じる。
ちなみに「引用」は著作権の例外事項です。
(ただし、詳しく言うと、大体、全体の文章量の
10%くらいと言われているそうです。)

 文化の発展に寄与することを目的とする著作権法。
個人や法人の利益のためだけに存在してしまっているような
事例が増えて来ているんじゃないか?
そして、そのことは、もともとの著作権法の理念とは
違うものなのではいか?
という考え方をベースに議論が深められると
いいなと思ったりもしています。


投稿者 山下 治城 | この記事のURL | コメント()

2007/06/08 - 09:56

「フューチャリスト宣言」梅田望夫・茂木健一郎(@ちくま新書) 個人の周辺

話題の二人の対談本。
汐留の書店で売り上げ一位、という売り文句につられて購入。
対談本なのでわかりやすい。
しかしながら、二人が他のところで言い続けていることが
あらためて掲載されているというだけに過ぎない面もある。
初めて二人の考え方に接するには最短、最適?
 対談なので二人の価値観や考え方が違うときに
面白い言葉が現れてくることがある。

 梅田は、インターネットの構造を最大限に利用して、
最大効率をもって人に会い会議に臨む。
まず、会ってから事情を説明して、それらの問題点を洗い出し
、整理し、解決法を考え、最適な解を見つけていくとなると
ものすごい時間がかかるのは自明である。
事前に問題点をネット上で共有し、その解決法を考えておき、
一同に会して、個々人の解決法を持ち寄り検証していくことのメリットは、
計り知れないと思う。
そうすることによって会議に参加する人たちの時間は、短縮できる。
そこから生まれた自由な時間で
様々な挑戦が出来たり、芸術に触れるというような時間をつくることが出来るのでは?
日本は、労働効率が先進国の中で最低ランクに位置するくらい
悪い国だという結果が新聞に出ていた。
打合せの場で全ての情報を共有しはじめ、
合議制に近いところで決めていくとすれば、
多大な時間がかかってしまうのは仕方がないことだろう。
 梅田は子供たちの前でこのように語る。
「未来と言うのは君たちが創造するものなんだよ。」
まったく新しい世界を君たちは創造していける。
梅田の楽天的なものの捉え方が僕たちを元気にする。
リーダーというものはそういう中から生まれてくるのかも知れない。
楽天的であることは一つの意志である。とさへ語る。

茂木は、多様なものの葛藤の中から
新しいもの価値のあるものが生まれる素地が作られると何度となく語っている。
彼特有の言葉で言うと、偶有性をどう受け入れるかということ。
「成長する能力のある人というのは、自分にとって痛いこと、
つらいことをきちんと受け入れて、それを乗り越えていける人だと思うんです。」と。
 また茂木は「可能無限」という言葉も使用する。
学びうることが無限に拡がったから、選択することこそを教えなければならない。
サーチ&チョイスの場面でどのような志向性を持つことが
大切になるのかということを言い続ける。
選択肢が「可能無限」であるからなのだが。
その志向性をどのように持つのかということは
以下の言葉から見えてくるだろうか?

プロフェッショナルの定義というのは、
自分のやっていることに快感を感じる人。
しかも生物学的に単純な快感じゃつまらない。
そうではなくて、仕事や勉強とかをいくらやっても飽きない人。
と。この状態にいることからきちんとした志向性を
持つことが出来るのではないだろうか?

ちなみに、「可能無限」というのは、まず最初の0があり、
次が1で、その次が2で、その次が3で、
これはどこまでいっても終わらないということ、だそうです。


投稿者 山下 治城 | この記事のURL | コメント()

2006/05/31 - 19:16

高知県・桂浜で坂本龍馬を偲ぶ。 個人の周辺

高知県・桂浜で坂本龍馬を偲ぶ。
先日、法事で高知へ。
「龍馬がゆく」を読んでから
初めて、桂浜へ。
ここで彼は何を思ったのでしょうか?
そして西原理恵子はどんな
少女時代を過ごしたのでしょうか?
カツオたちは黒潮の場所を
何故知っているのでしょうか?


投稿者 山下 治城 | この記事のURL