::: プロデューサー日記 :::
山下 治城
Haruki Yamashita
チーフ・プロデューサー
チーフ・プロデューサー
鳥取県 倉吉市
■趣味
舞台を見る。映画(ドキュメンタリーからアニメーションまで)。読書。
■座右の銘
大局観とディテイル
■尊敬する人
宮崎駿
■好きな食べ物
カレー・ラーメン・寿司・蕎麦
■プレイスポット
劇場&映画館
■チャームポイント
ものを見る、まなざし。
■一番大切なものは?
自分に正直であること。
■休日何してる?
舞台鑑賞・映画鑑賞・料理
■好きなCMは?その理由は?
サントリーローヤル「ランボー」篇 学生時代に見た、このCMがきっかけで、僕はこの業界に入った。
■どんなPrになりたい?
矜持をもった人間として生きていきたい。
【代表作品】
◎エステー化学:消臭力
◎三井住友海上火災:企業
◎総務省:参議院選挙
◎レダ:プチシルマ シリーズ
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2008/12/22 - 06:38
「パッケージ幸福論」低レベル安定社会へのデザイン(@ギャラリー5610) 仕事の周辺
最近、ソーシャルデザインという言葉を聞くようになった。
社会へ向けてデザインを通じて何が出来るのか?を問うもの。
今回の展示会でも、「食」を通じて本当に幸せなことというのは何なのか?
ということを考える機会になっていた。
その根本にある考え方が
「低レベル安定社会へのデザイン」という言葉である。
高度経済成長という神話は崩壊し、
極端なほどの逆風が吹き荒れているかに見え、
マスコミはその危機意識を煽る。
それにのせられた国民は閉塞感を強くし、自らの中に篭ろうとする。
しかしながら、よく考えてみたい、
実は高度経済成長の時代と比べて現在の生活の方がより快適で、
食べることに困ったりしていないのではないだろうか?
食材の流通や保存が進み、以前よりも新鮮で美味しいものが
安く食べられるようになった。
右肩上がりの成長と言うものはもはや望めないだろうし、
それを積極的に望むことも意味がなくなってきた時代となった。
その中で、我々は本当に大切なものを見つけだし、考え、
みなと共有することがこれからの社会の一員として
重要なことなのではないかと思う。
そこに、この言葉である。
本当に豊かで安定した社会に向けて
デザインが、パッケージがなしえることは確かにある。
と、この展示会を見て思った。
鹿目尚志氏の総合プロデュース。
そして今回の総合ディレクションとして
中島信也がその役を果たすことになった。
中島さんは、このテーマを決め
そして、そのお題として架空の中島農園でとれた
無農薬玄米のネーミングとパッケージデザインとした。
中島さんを中心とした十人の仲間たちは
日本橋の居酒屋「赤垣」にて気炎を上げながら未来について語った。
その時の結果がこの展示会場にある。
場所は表参道スパイラルビルの裏にあたるマンションの1階。
ここにギャラリー5610がある。
エントランスに掲げられた中島さんの筆書き文字
「パッケージ幸福論」という看板が目印。
プロの手になるものを見ると、無農薬玄米の持つ本質が見えてくるのが面白い。
彼らは無農薬玄米の要素を
因数分解でもするように解体してその要素を再構築していく。
ああ、こうやってデザインが出来上がるんだという
思考のプロセスみたいなものが浮かび上がってくる。
それは広告コピーを書くのと同じではないかと思う。
と同時に、デザインをするというのも方法が違えども考えることは
同じなんだなと確信できる瞬間でもあった。
アウトプットの表現スタイルが違うだけである。
これを映像作品にするということも
実は同じ思考のプロセス抜きには出来ないことなんだろうと思った。
ここには我々の仕事がなしえる未来への提言がある。
それをいち早く発見し、実行していく勇気が
僕たちに求められているのかもしれない。
帰りの表参道の駅に大きなポスターが貼ってあった。
デザインが何か社会のために出来ないか?
佐野研二郎氏や森本千絵氏の作品が掲載されていた。ここにも。
2008/09/30 - 10:07
「シリコンバレー精神―グーグルを生むビジネス風土」梅田望夫(@ちくま文庫) 仕事の周辺
梅田望夫が「サバティカル」宣言をした。
と、ブログに書かれていたのは衝撃的だった。
「研究ための長期休暇」を取る。
そのために今後「私塾のすすめ」以降は当分、出版などは行われないと。
ええええ!とショックだった。
いつも梅田望夫の文章に触れるたびに勇気をもらい
未来について考える事ができた。
その文章が読めないなんて!と悲嘆にくれた。
唯一読んでいなかった梅田さんの本がこれだった。
アマゾンで調べて注文購入をする。
書店をさがしてもこの本は見つからなかった。
2006年に出た文庫版である。
2年弱も経つと店頭から姿を消すというのは仕方がないことなのだろう。
数日もするとアマゾンでやってくる。
シリコンバレーのネットバブル崩壊後以降のことを語ったのが本書である。
梅田さんが良くお書きになっているグーグルの萌芽の部分が本書に記されている。
ネット上にある様々なものをグラフ構造化して、
その構造を簡単に分析できるものを開発しようとした
二人の数学者の好きなことへの邁進がグーグルを産んだと書かれてある。
実際には難しすぎてわかないが、
そのグラフ構造であるという直感から
そのWEB(蜘蛛の巣)の張り巡らされた全てのものを
解析しようという発想を信じて突き進んで来たということ自体に驚きを感じる。
そのときは誰もその構造解析のシステムから
あのような優れた検索エンジンが開発されるなんて予想もしていなかったことだし、
その検索に連動した広告で利益を得るという仕組みを考えるに至った経緯は
さらにすごいものを感じる。
梅田は言う。
若いものたちが何か始めたらそれを大人たちは喜んで眺めているだけでいい。
彼らの努力が実るか大きくなるかなんてわからない。
そのわからないものを、わからないまま放置出来、
わからないことを純粋に応援できるのがシリコンバレーの精神なんだろうなあと思う。
シリコンバレーはサンフランシスコの東に位置する。
サンノゼというところが中心地などと言われるが
どこからどこまでがシリコンバレーかという定義はないそうである。
しかし、あの風光明媚で自然が豊かなのんびりとした街で、
ものすごく新しい事が起きている。不思議な感覚である。
梅田は1994年にこの地にやって来た。
そして、1997年にミューズ・アソシエイツを創業する。
本書自体は、その頃に、
新潮社の月刊誌「フォーサイト」に
「シリコンバレーからの手紙」というタイトルで連載されたものがベースとなっている。
単行本自体は2001年に発行されている。
そして2006年に文庫版が出版される。
文庫版のために梅田が新たに書き下ろした、
前書きと、文庫版のための長いあとがきを読むと
2006年に梅田さんが考えていらしたことが良くわかる。
メディア状況が変化しようとしている今、
本書には面白くかつ教訓的なことがたくさん書かれている。
その中でも本書で特に興味を持ったのが
「マドル・スルー」という状態を表す言葉である。
英語で書くと「Muddle through」となる。
文字通り「泥の中を進む」=「先行きが見えない中。
手探りで困難に立ち向かう」という意味だそうである。
今の広告業界もまさにこの状態にあると言えよう。
そしてこの状態をプロセスとして楽しむ文化が
アングロサクソンにはあると中西輝政京大教授は語る。
未来を創造する為にこの状態を積極的に楽しんで
試行錯誤していくことが、今の我々に求められていることの一つかも知れないな?
と本書は教えてくれる。
2008/07/19 - 10:49
「私塾のすすめ」斉藤孝・梅田望夫(@ちくま新書) 仕事の周辺
梅田望夫が彼のブログの中で、本書の出版を最後に
サバティカルな期間に入ると宣言した。
サバティカルとは、要するに充電期間みたいなもの、
研究のために外部に発表することなどを控え
長期の休暇を取るといったような意味のことであるらしい。
梅田望夫はこの数年猛烈な勢いで有名人化していった。
「ウェブ進化論」がそのブレイクのきっかっけだったことは間違いない。
「ウェブ進化論」で本当に多くの勇気と視点を変えることを学ばせて頂いた。
人生観が変わったとまで書くといい過ぎかもしれないが、
それくらい根底を揺るがすようなことがたくさん書かれてある。
そして、梅田さんの書いたものや対談が
これからしばらく出版されないかと思うと,
残念である。
そして、梅田さんの文章に出来るだけ多く触れたいと思い。
梅田さんの書いたもの対談を全てチェックし、
彼のネット上に書いたもので読んでいないものがないのか
あらゆる角度からチェックすることになった。
斉藤孝という、梅田さんとはまた違った価値の持ち主との対談が
刺激的な相乗効果を産んでいる。
「私塾」とは福沢諭吉先生の教えそのもの。
その精神が今、ネットという新しい世界を通じて
再構築できないかという希望を語り合っている。
「独立自尊」で「学び続けること」こそが重要であるということ。
実は、そのことは誰にでも開かれており、好きなことを見つけて、
好きなことに徹底的にのめりこみ学ぶ環境は
自ら作っていけるということである。
明治時代の私塾ならばそこまでは開かれていなかったろう。
しかし、現在はパソコンとインターネット環境さえ整っていれば
どこからでも語る事ができる。
NYに引っ越した元会社の後輩とスカイプを通じて顔を見ながら話すことが簡単に出来る。
電話だけでは伝わらない情報がスカイプ経由で届ける事が可能になる。
梅田さんが語ることは基本、彼の著書「ウェブ進化論」「ウェブ時代を行く」に
ほとんど全てのことが書かれているのだが、
本書を読むことによってその考え方を喋り言葉で再確認する作業が出来る。
人間はこうやって繰り返しあることに触れていないと
身体に沁み込むということにならない。
そのために多くのパターンで同じ事が書かれているものを
多読することも価値があることなんだろうなとも思う。
斉藤孝が大学生の日本語能力の話をする。
「ウェブ進化論」の一部を引用した後、
「実は今の大学1年生の多くには入ってこないのです。
国語で言う現代文の力があまりにも不足している。
僕も若い頃は難しい言葉を使って論文を書いていました。
(中略)今の時代は話し言葉のようでないと
多くの人にはなかなか伝わっていかない。」と。
なーるほどなあ!
読み解き能力の不足から来ることはコミュニケーションをするという基本につながる。
そこをきちんと教えていかないとかなりヤバイことになると思った。
それは常日頃から学生を初めいろいろな方々と接している
斉藤先生だから持ちえた考え方なのかも知れない。
斉藤先生は出来るだけ多くの人に強引にでも振り向かせ
興味を持ってもらうようなことを実践されている。
逆に、梅田望夫は、興味を持って自らの意志でやってくる
若者たちには開かれている。
それはあるクラスを限定するのかも知れないのだが、
そういった意志のあるものたちが集まって
未来の世界を日本を考えていくという志に満ちているのである。
そこが梅田さんと斉藤さんの大きな違いといえよう。
斎藤さんは全体が上昇していくことを基本においていらっしゃる。
ボトムアップ志向であり、
梅田さんは斎藤さんがボトムアップした人たちを
引き連れて行くリーダーたちにどのように刺激を与えていくのがいいのかを
自らと一緒に考え続けているのだろう。
まるで明治維新の志士に対する私塾のように。
また現在の自分に置き換えられるようなことがここで語られる。
量をこなすということ。
ここで、梅田は「NO」と言われる事を怖れるな!と力説する。
多くの人にオファーし続けることによって
自分のことを理解できる人が100人に一人くらいは現れるだろう。
その出会いはまさに幸福な出会いである。
その幸福な出会いを増やすためには「NO」と言われる事を怖れていては
何も出来ないよと梅田は語る。
99回の「NO」を上回る1回の幸福な出会いを求めて、
アクションを起しているのかどうかということを梅田は問いただす。
その梅田の考え方のベースは諦観にあると言う。
どうせ、まず人間同士が簡単に分かり合えるはずがないというところから
彼の考え方は始まっている。
梅田の分かり合えるという意味は簡単ではない。
深い、心や考え方の部分である。
そんな気持ちや考え方を一朝一夕に共有出来る筈はないと思うのは当然である。
だから梅田は、その人の頭の中の分身でもある
ブログなどをお互いに読みあい共有し合い、
結果、幸福な出会いのスタート地点を早くすることが重要である
というようなことも同時に語っている。
そのためにはある一定量以上の人たちに働きかけないと
いけないという考え方に共感する。
また、斎藤さんの言う、自己内対話という考え方も重要なポイントであると思う。
自己に徹底的に向き合い分析することが重要であると斉藤孝は語る。
そして自己に向き合う他者をどれくらい住まわせることが出来るのかということも。
他者が多ければその人の価値も含めて一緒に生きているという感覚になるだろう。
そのためには他者とも徹底的に話し合う時期が必要だと語る。
そして二人はこう思う。
「気持ちが通い合う私塾が欲しいという思い」
いわゆる「私塾願望」がインターネットの空間で満たされることの希望を語る。
二人の対話を通じて獲得されたことのひとつに過ぎないのかもしれないが、
対話からこの人とは用事がなくても会って話したいと思える関係になれる
ということが後書きで書かれている。(梅田さんと斉藤さんの関係)
その関係性の獲得は、まさに徹底的な対話を通じてのものだったのだなと確信した。
2008/06/24 - 08:08
「IMC TOKYO2008」(@幕張メッセ) 長文! 仕事の周辺
先々週、Interop Media Convergence と名付けられた
展示会が行われた。
放送・映像・ネット・モバイル・web・・・。
のメディアコンテンツビジネスの新時代を支える専門イベントである。
もともと、Interopというイベントがあり今年で15年目になるらしい。
これはインターネットを利用したビジネスを展開していくための展示会である。
様々な会社がブースを出している。
ここで、この日、初めて聞くようなことがたくさんあった。
興味深い展示会だった。
まずは、村井純(慶応大学教授)の基調講演を聴いた。
「地球とインターネット」と題した講演は刺激に満ちていた。
「インターネット」のことと言えば村井純というイメージがあるように
さすがにこの世界に詳しく、語っていることは
遠くの未来を見据えた概念まで示している。
45分間の講演ではとっても収まりきれないような
情報量の講演内容であった。
情報量が多いものを聞いていると
密度が高いので聞き飽きない。
まずは、いま現在のデジタルコンテンツや
インターネットの世界がインフラを含めてどうなっているのかを概観される。
ワンセグチューナーやアクトビラ、そして今回初めて聞いたものが
「デジタルサイネージ」という言葉だった。
高密度ディスプレイを屋外に設置して、様々なコンテンツをそこで流す。
もちろん、場所や時間、また、そこに集まると予想される人によって
コンテンツを変えていくことが出来る。
ホストサーバーでそれを管理して、
まるでテレビ番組を流すように、駅張りのポスターを時間に応じて
張り替えるように制御することが出来るようになる。
実際、大江戸線を初め、いくつかの場所で少しずつ
「デジタルサイネージ」の実験的なことが行われている。
そこにはデータ転送の技術なども
重要な問題として絡んでくる。
フォトニックネトワークの進化と村井教授は言う。
言うなれば、「光ファイバー」のネットワークが
至る所に張り巡らされるということ。
例えて言うと、光ファイバーのじゅうたんが敷かれているというような感覚である。
実際に港区では、「光のじゅうたん」がほぼ実現出来つつある
というようなお話を聞いた。
実際、今、広告業界でも「OOH」メディアというものが増えている。
これは「out of home」という意味であるが、
屋外に出て何かのメディアに接触すること
これが現在ではTV、新聞の広告費に次ぐ売り上げである。
「OOH」のひとつのスタイルとして
「デジタルサイネージ」というのは大変重要なものの
一つになるのではないかと思われた。
光ケーブルとワイヤレスの高速転送技術を駆使して構築される、
「デジタルサイネージ」の大きなネットワークはまるで
新しいメディアを持つことになるように、思われる。
そしてそのデータのネットワークは個人識別も出来るようになり、
外にいても反応したり接触することにより
インターネットの個人PC経由或いは個人ケータイからアクセスするのと
同じ状況が作れてしまう。
そして、Aさんというのはどんな人で、
今、どこに居るのかということが瞬時にデータとして認識できる
環境が整いつつあり、そのためのデバイスが日々増えて来ている。
「位置・空間・時間」を認識した「個人」に強烈にフォーカスした
コミュニケーションがますます増えてくることが予想される。
また、村井教授のお話で興味深かったのが、
時差が6時間以内の国の人々とは
リアルタイムで仕事が出来る環境を作れるだろうということ。
そのためには、アジアやロシアへ結ぶ大きなデータ伝送の
ケーブルのインフラ整備が必要であるという。
現在では太平洋と大西洋は大きなケーブルが設置されており問題ないのだが、
これからの地球の未来を考えると、
ハバロフスク経由でシベリア鉄道を行くように敷設されるラインと、
シンガポール、インド経由で中東までを敷設される
ラインの整備について求めていらした。
今後、米国や欧州だけに向いていてばかりいられないという
村井教授のお話は説得力があった。
杉山恒太郎さんの基調講演では、
最近の若いものはPCさへ持たない人が増えて来ているという
調査データを発表されていた。
そのためには、モバイルコンテンツに特化した方策を
真剣に考えないといけないとおっしゃっていた。
10代から20代前半の若者たちは
ケータイの両手打ちをする人が増えているらしい。
まさにパソコンの感覚である。
続いて「次世代広告プラットフォーム:デジタルサイネージの将来展望」
というカンファレンスを聴く。
モデレーターは慶応大学教授の中村伊知哉。
スピーカーはNTT副社長の宇治さんと
電通メディアコンテンツ本部の杉本さん。
来年からこのイベントに「デジタルサイネージ」部門が加わる事が決定されたらしい。
これに関しては村井さんのところで
大まかなことは書いたので重複するところは省くが、
面白かったのは現在、若者を中心とした人々の
外出時間が伸びているという調査結果が明らかになったことである。
生活者は明らかに外に居る事が多くなり、
そのためのメディアである
「デジタルサイネージ」は今後ますます注目されてくることになるだろう。
ここでは倫理的な問題と景観的な問題を
どうクリアしていくかが問われてくるだろう。
そうしないと、渋谷や池袋の繁華街のような
いつもどこかのモニターから大きな音が流れ
それらが騒音として溢れかえる。
そんなことにならないような素敵なメディアと
そこでの気持ちのいいコンテンツが本当に求められてくることになるだろう。
杉本さんはそのためにはコンタクトポイントマネジメントが重要であると語っていた。
このマネジメントという概念に強い倫理観が求められる。
また、慶応大学湘南藤沢キャンパスの研究所所長、
國領二郎の話はもっと根源的な原理について語られていた。
WEB2.0の進化の先にはユビキタスとセンサーの進化により、
ネットのあちら側とリアル社会のこちら側が
今以上にリンクしていく筈である。
これを國領先生は「ユビキタスにカスタマイズされたマーケティング」と呼んでいる。
GPSがさらに進化すれば、携帯電話を持っていれば
Aさんはどこのビルの何階のどの会議室の
どこの椅子に座っているのかがわかるようになってくるだろう。
そこから、誰がいつどこにいるのかが特定できることによって
「つながり」がもたらす価値が生まれてくると言う。
例えば今居る場所に届けるサービスである。
花見の場所にピザが届けられることの
さらに進化したものだと思うといいのかも知れない。
そして國領先生はそうやって生まれてくる価値を
「創発のプラットフォーム」という言葉で語る。
多分、異分野や異業種がつながって新たな価値を生み出すということなのかな?
そのためには制約と冗長性が必要であると語る。
國領先生はかなり難しい言葉で概念的な事を語られるので
ついていくのが精一杯だった。
聴いていて思ったのだが、要は、あるルールを統一して、
その環境の中から自由に物事を進めていくことが重要であるということ。
リナックスというOSの基本ルールのもとに
優秀なヴォランティアSEたちが自由に改良を加えていくことが
この一つの説明の例示になるだろうか?
そして誰もが自由に使えるようになった環境から、
集まった多くの人に興味を持ってもらったものに対して
小額を課金していくシステムが利益を生んでいくと先生は語る。
梅田望夫いうところのロングテールの思想である。
國領先生はそのことを「創発的な価値の内部化」と語る。
うーん。なかなか理解できない。
また現在の広告費は6兆円であるが
販促費は約12兆円くらいと推定される。
その価値をこのインターネットデジタル社会で
別の用途に使われるようになるかもしれないとおっしゃっていた。
(ダイレクトマーケティングの隆盛は、
まさにそのことを示している一つの例ではないでしょうか?)
また、グーグルなどが始めている
アプリケーションの無料サービスについて言及される。
タダ同然のアプリケーションが増えることによって、
それを利用する企業が増えていけば、
確実に現在、企業で設備投資の一環としての
アプリケーション費用やその他の費用が
別の価値に置き換わるに違いないと語っていらした。
楽観的過ぎるかもしれないが、
その楽観性の中に可能性の芽は潜んでいると言えるのかもしれない。
ユニクロの柳井社長の語る、
「一勝九敗」の思想と似ている。
経済産業省の情報政策局長、岡田秀一さんの語る、
グリーンITの取り組みのお話も興味深かった。
IT化に伴う電力などの使用量の増加に対して、
環境問題に配慮しながらどのように
グリーンITを進めていくのかという取り組みの現状などについて語ってくれた。
グーグルはデータセンターを米国の水力発電所のすぐ傍に作って稼動させている。
そのことによって自然エネルギーを再利用し、
発電所の近くということで送電ロスをも減らせるということだそうである。
有機ELやLEDのさらなる発展によって
電力使用量は劇的に低下していくことが出来るだろう!
無限のものなんて何もない。
無限だと信じられる唯一のものが人間の知恵である。
その知恵を駆使してグリーンITを乗り切ってみたいものである。
2008/05/23 - 07:44
「テレビ進化論」境真良(@講談社現代新書) 仕事の周辺
タイトルは明らかに、梅田望夫「ウェブ進化論」を意識してのことだろう。
豊洲の紀伊国屋書店に1冊だけ置いてあった。
先日、渋谷のブックファーストに行くと、大量に平積みされていた。
新聞広告で見て、興味を覚える。
いまだに書籍などに関しては
新聞から、偶然の出会いの情報を求めている。
アマゾンのオススメ機能とは違った偶有性がここにはある。
同じ意味で編集された、書店にも同じようなことが言える。
青山ブックセンターなどはその最たるものだろう。
著者の境真良は元官僚。
経済産業省でコンテンツ政策に携わっていた。
現在は早稲田大学客員准教授。
元官僚だけあって、語り口が官僚っぽいのが面白い。
日本のコンテンツ界、いや通信産業と放送産業までを
包括した論旨を展開する。
2011年に地上デジタル放送に完全に移行するための
業界の未来を描いている。
官僚とは国の未来を思い描ける人がならなければならないんだな、
と改めて思う。
そのためには減点法ではなく加点方的な評価のシステムが出来ると、
官僚という仕事がもっと魅力的になるのではないだろうか?
しかし、そのような志向を持つものは官の世界から飛び出し、独立する。
先日、東大に多くの人材を送りこまれている高校出身の方が、
同窓会に出席された話を聞いた。
卒業してから会社を変わっていない人の方が少ない。と。
ここに時代の気分を感じる。
とともに大きな価値観の変化が
この20-30年の間にあったのだろう。
本書はまず、「ギョーカイ」の特殊性から語られる。
歴史的な認識なくしてはものごとを語れないというのは
どの世界に於いても同じである。
芸能界、TV業界、映画業界など、彼らは自分たちの持っている
既得権益を守りたいと思ってる。当然である。
既得権益の中から利益は生まれてくる。
いつまでもブラックボックスのような状態で
ものごとが作られているならばそれでよかったのかも知れない。
しかしパソコンとインターネットの普及によって
そのこと自体が現実的に崩壊しつつある。
誰でも、コンテンツを簡単に作る事が出来、
そして誰でもがインターネットを通じて発信できるようになった。
そのことによってギョーカイのブラックボックスは崩壊しつつある。
日産のNOTEのCMなどで起用された「GOLDEN EGGS」や
アニメーション作家「新海誠」の登場などはまさにその典型的な例である。
特に、これらのコンテンツはタレントさんが絡まないのでさらに浸透しやすい。
タレントをコンテンツに登場してもらうというところになると、
芸能界と仁義を切り結ぶという必要が出てくる。
しかし、それも徐々にではあるが崩れつつある。
芸能プロダクション自体が新しいコンテンツメーカーとして
新しい才能を多くの場所に求めているからである。
そのためには、多くのことを学び知り、審美眼を磨く必要が
ますます重要になってくるだろう。
優れた才能が出やすくなったという意味では、
大きなチャンスが僕たちの目の前にある。
その審美眼(「目利き」みたいなもの?)を持った人が
優秀なプロデューサーになっていく可能性は大いにある。
実行力がそれに伴う必要があるので一筋縄ではいかないのだが。
それは熱意という言葉に置き換える事が出来るだろう。
映像コンテンツのロングテールという話も面白かった。
いままではマイナーな映像表現だったカルトのようなものが、
ある層に強く受けいれられることによって、
新たな映像コンテンツの価値が生まれてくるということは
いままでになかった現象かも知れない。
そのコンテンツが瞬時に検索され、
そこに広告の課金システムを組み入れていこうとするのが
グーグルの野望であり、U-TUBEを買収した理由のひとつであるだろう。
映像の好みのオススメシステムに近いものが出来つつある現在、
実現性の高い話だろう。
画質の問題も早晩改善されるということも記してあった。
第二日テレの土屋敏男は言う。
「コンテンツの力の源泉は『個の狂気』である。」
と。
そういった個に負けないように、
コンテンツメーカーたちは日々、「審美眼」を磨き、
「努力」しつづけなければならないのだと改めて思った。
最後に、デジタルコンテンツ法制という考え方に興味を持った。
この法制化が、官主導で行われるのだろうか?
そしてこの法律がデジタルコンテンツの
改革の旗手となりうるのだろうか?
2008/05/09 - 07:57
「佐藤可士和の超整理術」佐藤可士和(@日本経済新聞社) 仕事の周辺
考え方をまとめる、考えや思いやビジョンを引き出す際に
整理術という概念で物事をまとめた初めての著書ではないだろうか?
その新しい視点でちょっとした発見をやり続けているのが
佐藤可士和という人なんだ、と思った。
でも、そのちょっとしたことを皆が考えられないからこそ、
佐藤さんへ多くのクライアントが仕事を依頼しているという
事実があるのだろう。そのことが彼の凄さを物語っている。
先日ある公演で佐藤さんが「ワークデザイン」ということを語っていらして、
とっても印象的なお話だったことを思い出す。
佐藤さんはいつでもどこでも同じ事を
言い続けているのだなということがわかった。
「ワークデザイン」というのは、仕事の仕方や環境作りの「整理術」。
本書の中でも佐藤さんはたくさんの面白いことや発見されたことを語っている。
何ていうことはないことだけに凄い!
コロンブスの卵的な話が具体的な事例とともに語られる。
一番印象に残ったのは、僕は問題解決をする専門家です。
コミュニケーションを専門とする問題解決のスペシャリストである。
問題は全てクライアントの中にある、
そのことを対話などを通じて引き出すことで
ほぼ全ての問題は解決する、と佐藤さんは語る。
なるほどなああ!と納得。
「問題は全てあなたのココロの中にある。」
というような哲学的な会話と同じ事である。
広告会社の方々と話していると、
彼らの仕事は経営コンサルタント業務に限りなく近いなあと
日頃思っていただけに、
佐藤さんの話はそこにつながり説得力をもつ。
箭内さんが言う「クリエイティブ合気道」というのも同じことだろう。
「本質をきっちり捉えて効果的に表すこと。」
これが全てを語っている。
佐藤さんは続けてこのように述べている。
「大切なのは自己表現じゃなく、どう人々に伝えるか。
つまり、デザインやビジュアルの力を使って、
本当に伝えたいことを相手に届けることではじめて、
広告は機能するのだと自覚したのです。」
それをやり続けるために整理術は必要ですよ
というのが本書の大きな考え方である。
「整理術」は三段階に分けて語られる。
「空間の整理術」「情報の整理術」「思考の整理術」である。
どんどん抽象的になっていくのだが
一貫した思想で語られているので揺るがない。
「思考の整理術」の中で「答えは相手の中にある、
と同時に自分自身の中にもある」という言葉はまさに至言。
その思想は、本書のまえがきの書き出しに通じる。
「楽しく、早く、いい仕事をして、人に喜んでもらって、
自分もハッピーになりたい」と。
この言葉が、佐藤可士和の全てなのかも知れない。
2008/02/28 - 01:24
「ボーダレス2008」JAAAクリエイティブ研究会第58回(@ヤクルトホール) 仕事の周辺
佐藤可士和×伊藤直樹×高松聡
この3名のクリエーターが
自分自身のことについて語り、
その後、彼らと司会の笠原さんの4人で座談会をする。
というスタイルでこの研究会は行われた。
最近、この種のイベントはいつも超満員である。
当日券はございません。と受付に貼ってあった。
以前は、ここまで一杯になることはなかったように記憶している。
こういった広告に関する研究会が混み始めたのは
本当にここ数年の出来事だろう。
それは、何故か?
教育ということに対して積極的になってきているという姿勢の表れか?
それとも現在の広告業界に対する危機感が人を集めるのか?
業界の転換期なのか?
それとも主催者のチケットを売る努力の賜物か?
前の仕事が伸びてしまい、途中からの参加となる。
伊藤直樹さんが自分の仕事について語っていらした。
ウォークマンのキャンペーンなど興味深かった。
そして、高松聡さん。
高松さんのお話は以前、原宿でイベントがあったときに伺ったことがあり、
「GOO」や「スカパのパブリックビューイング」の話は鮮明に覚えていた。
今回、日清のカップヌードルのキャンペーンに対する面白い話がたくさん聴けた。
今回のまさにテーマである「BORDERLESS」のキャンペーンと
今行われている「FREEDOM」のキャンペーンについて、いろいろと伺う。
三人の全てに言える事は、
メディアや広告という概念にとらわれない中で
自由に発想し仕事をされていること。
それはその後の座談会の話にもつながるのだが、
クライアントの問題点を深く理解し共有し、
その課題を解決するためにはどのようにするのが一番いいのか
を考える仕事なんだなあと思った。
そのためにはクライアントの話を良く聞き問題点を見い出し、
その問題点をまずクライアントと深いレベルで共有することが大切。
そのために「対話」を繰り返し、
深いコミュニケーションの関係を作っていくこと。
その能力の優れた人たちが
ヒーローになれる世界なんではないだろうかと改めて思った。
佐藤可士和さんは、答えはクライアントの中にある、
対話を重ねていくと自ずとその答えが見つかる。
その答えをカタチにして提示しているだけに過ぎない。
とさえ、おっしゃる。
さらに、そのためには、そのプロジェクトのリーダーと
きちんと対話することが必要である、と。至言である。
プロジェクトリーダーは企業のトップかもしれないし、
宣伝部長かもしれない。
その人と直接向き合って話すことによって
目的に向かっての解決策は見えてくる。
まるで経営コンサルティングである。
佐藤さんはそれを「デザイン」という言葉に置き換える。
座談会で面白かったのは仕事のやり方に関してであった。
佐藤さんは仕事の仕方を「ワークデザイン」という言葉で語る。
ここの環境作りをきちんとやらないと大変な状況になる。
そんな状況に陥らないために、
プロジェクト毎にどのようなスタンスで仕事に取り組むかを決め、
必要とあれば外部から適切なスタッフを集めてくる。
なるほどなーっと思った。
「SAMURAI」の場合、佐藤さんと4人のデザイナー以外に
2名のマネージャーが居る。
そのマネージャーの存在はかなり大きいのではないかと思った。
所謂、マネジメントプロデューサーというようなものをイメージした。
佐藤さんも、伊藤さんもランニングを始められたそうである。
走ることによって何が見えてくるのだろうか?
身体を通じて脳の中から何か見えてくるのか?
佐藤さんは5時に起きてランニングをしているらしい。
村上春樹のことを思い出した。
2008/02/11 - 01:56
「雨の翼」2007年日本(@ユナイテッドシネマ豊洲) 仕事の周辺
生演奏の映画。初めての経験。
無声映画の上映でピアノ伴奏付きのものがあるが、それとは全く違う。
演奏するのはKUMAMI。
この映画の成り立ち自体が、KUMAMI抜きには語れない。
音楽を主体にした映画を作れないだろうか?
とKUMAMIと彼の周辺のスタッフは考えていた。
それを実行に移したのが石田プロデューサー。
そして映像に定着したのが熊澤尚人監督。
ららぽーと豊洲は休日ということもあってものすごい人だった。
特に飲食店は行列が出来ていた。
豊洲のユナイッテッドシネマ1という劇場は
音楽の演奏が出来る映画館ということで有名である。
ここにグランドピアノが置かれている。
スクリーンの下手にそれはある。
KUMAMI登場!拍手の中、映画が始まる。
女子高校生の切ない片思いを描いた叙情的な作品。
同級生の野球部の男友達が絡む。
学校を中心にロケーションが行われている。
オープニング、いきなりピアノ演奏が始まる。
スクリーンでは役者がいきいきと動き回っている。
ここに何故、この音楽なのか?そして音楽の効果とは何か?
音楽は映画をどのようにしていく役割を持つのか?
ということなどを考える。
通常の映画なら、音楽も台詞も効果音もミックスされた状態で
スピーカーから流れてくる。
今回は、劇中の台詞や効果音とライブ演奏の音楽が違う。
そのことによって
観客は映画の中の音楽を強く意識させる構造になっている。
それは生演奏だから感じられるのである。
そして音圧なども含めて、映画の中での音楽の意味を考える。
いや、感じるのである。
ピアノの音色が叙情を誘う。
ああ、ピアノの音ってきれいだなあと思う。
そのための会場での事前準備は並大抵なものではないだろう。
雨の中で主演の藤井美菜が
手を拡げて踊るシーンが印象的である。
彼女はクラシックバレエをしていたのだろうか?
指先にまで踊る気持ちが込められている。
この叙情性は何だろう?と思った。
そう、岩井俊二監督の映画や新海誠のアニメーション作品にも似た、
「何か」がある。
ある時期に感じるだろう、小さいけど大切なこと。
そのことをいつまでも持ち続ける人たちには
確実に届くだろうメッセージがこの短編の中に隠れている。
KUMAMIの歌声が今も耳に残っている。
この日は、特別に(?)この映画の
その後をテーマにした曲をKUMAMIが披露してくれた。
今後、福岡、大阪、名古屋と巡回していくらしい。
生演奏の、あの感動は体験しないとわからない。
2008/02/02 - 01:45
「明日の広告」佐藤尚之(@アスキー新書) 仕事の周辺
副題は、変化した消費者とコミュニケーションする方法。
佐藤尚之さんはインタラクティブコミュニケーションの世界で
有名な方である。
別名「さとなお」というペンネームで
面白いエッセイをたくさん書かれている。
「うまひゃひゃさぬきうどん」の面白さには本当にたまげた。
彼の主宰している。「さとなお.COM」は僕の愛読のブログである。
また、おいしい店リストもそのHPに併設されており
読んでいるだけで面白い。
その佐藤さんが、本業である広告の本を書いた。
ここで、佐藤さんはコミュニケーションデザイン
ということについて熱く語っている。
コミュニケーションデザインとは消費者の視線に立って
考えると自ずと見えてくる道筋を示してあげることだと佐藤さんは語る。
この本では「消費者」というワードを敢えて使われているのだが、
実際は「生活者」などと言うほうがぴったり来るのかも知れない。
そのことは、以前伺った、佐藤さん自身の講義の中でも語られていた。
「消費者」はこの広告に何を求めているのか?
どのように広告に接触するのが適切なのか?
表現を具体的に考える前に、まずこのことを考える。
まるで「生活者」を考える哲学みたいなことなのか?
「消費者」のライフスタイルが変わっているのに
広告が旧態依然としたキャンペーンを繰り返していても仕方がない。
彼らに合わせたキャンペーンの仕組みを考えていくのが
佐藤さんの言うコミュニケーションデザインの考え方である。
佐藤さんが衝撃を受けた過去のCMについて記述しているところがある。
サントリーローヤルの「ランボー」のCM。
砂漠のようなところで大道芸人のような男たちが
マーク・ゴールデンバーグの奇妙な音楽に合わせて芸を披露している。
ええええ!僕と同じだ!
と思った。
佐藤さんと同世代の僕は
大学3年生のときにこのCMに出会った。
そして広告業界を目指した。
また佐藤さんはこのようなことも語っている。
ネットを利用して個人の発信を始めてから、表現欲が満たされると、
CMの表現などで自己実現しようというような考え方はなくなり、
消費者に伝わる表現を作ることが最優先になった、と。
井上雄彦の「スラムダンク1億冊感謝キャンペーン」の下りは
何度聞いても感動的である。
「映像テクノアカデミア」の講座で聴き。
その後、番組になったDVDを購入し。
今回、本書で改めてことの顛末を読む。
毎回、感動と熱意が伝わってくる。
手間がかかってなかなか利益にならないものが、
人々の気持ちに深く届く、
そして最終的には、大きなキャンペーンになっていくという
幸福な事例である。
そこには感動がなければならない。
人の気持ちを動かすものを作らなければ人のココロには届かない。
というシンプルな真理がある。
2008/01/06 - 01:43
「ウェブ時代をゆく」梅田望夫(@ちくま新書) 仕事の周辺
あけましておめでとうございます。
最初の1冊は、これからの未来を語った一冊。
あの名著「ウェブ進化論」から1年を経て出版された、梅田望夫の新刊。
ここでも梅田の立ち位置は変わらない。
徹底的にポジティブにウェブ時代を捉える。
楽天的に未来を考え、人を信じる姿勢は素敵です。
ウェブ時代になると、新しい、さらなる世界が開ける。
そのウェブ世界とリアル世界をバランスよく生きていく生き方が提示される。
本書の副題として、
「いかに働き、いかに学ぶか。」
ということについて語られる。
新しい時代の兆候がその先にある。
このような本を読むと多くのことを考えさせられる。
ここから先に新ビジネスモデルがあると信じる。
梅田はこのウェブ時代を高速道路に例える。
ネット社会が生んだ、いつでもどこでも誰でも、
ネットを通じて勉強や研鑽を積む事が出来、
そのスピードはどんどん増している。
発信者としても、誰でもが自由に
発信できるという環境が開かれている。
極度に民主的な社会がそこにある。
ただ、高速道路の先は大渋滞していると梅田は言う。
これは過度の競争社会であるということを
置き換えて言っているのだろうか?
それを乗り越えるのに梅田はふたつの方法を提示する。
ひとつは、さらなる「高く険しい道」を進むこと。
これこそがプロフェッショナルと言われている人々が進んでいる道である。
将棋が好きな梅田は、その世界に置き換えて、
羽生善治のことを例に挙げる。
彼は、まさに「高く険しい道」を進んでいる人である。
もうひとつは、「けものみち」を進んでいくことと梅田は語る。
「けものみち」とは道なき道の例えである。
どこにどう道が続いているかわかりにくいのだが、
そこには先に進める道が必ずある。
その道を、勇気を持って歩き出せば、
「高く険しい道」でなくても、その先に進んでいける。
この道は、ベンチャーとか新しいビジネスモデルとか
ということに置き換えられるだろう。
そして、どちらの道もこれから我々が
進んでいかなければならない道であると梅田は示す。
しかし、その道を進んでいくのにはある種の条件が提示させられる。
めんどくさがらないこと。
自立心をもって、自律しながら時間を有効に使ってものごとを処理していくこと。
そのことが問われる。自発性と置き換えてもいいのかもしれない。
そのような自発性なくしては、この道を進むことは出来ない。
組織が何かやってくれるだろうとか、
与えられた仕事をやるという考え方の人たちは
新しい世界に向けて進んでいく事が難しくなるだろうと
梅田は何度も繰り返す。
ただし、ウェブ社会では好きなことを徹底的にやって
それがビジネスになるとも梅田は語る。
好きな事を徹底的にやることこそ、自発性の塊のようなものである。
そのためには「好き」なものを自ら発見することが重要になる。
学生時代にそれが見つかれば、そんなに幸せなことはないだろう。
そして、さらなることとして、ウェブ時代の公共性について梅田は言及する。
ネット社会が上手く機能すれば、世界の格差は縮小し、
自律し勇気のある人たちが等しく頑張れる世界になる!と。
実際、グーグルの思想は世界の全ての知や情報を整理整頓して体系化することである。
税金ではなく、グーグルの資本でそれを行っている。
マイクロソフトの一線を退いたビルゲイツは彼の何十兆という資産を運用して
彼の財団で生み出された資金を、どのように基金として世界に還元するのか
ということを日々考えている。
ここに、梅田が描くウェブ社会のひとつの理想系がある。
その実現に向けて、みんなで道を進んで行こうよ!
というのが本書の概略である。
最初の1冊は、これからの未来を語った一冊。
あの名著「ウェブ進化論」から1年を経て出版された、梅田望夫の新刊。
ここでも梅田の立ち位置は変わらない。
徹底的にポジティブにウェブ時代を捉える。
楽天的に未来を考え、人を信じる姿勢は素敵です。
ウェブ時代になると、新しい、さらなる世界が開ける。
そのウェブ世界とリアル世界をバランスよく生きていく生き方が提示される。
本書の副題として、
「いかに働き、いかに学ぶか。」
ということについて語られる。
新しい時代の兆候がその先にある。
このような本を読むと多くのことを考えさせられる。
ここから先に新ビジネスモデルがあると信じる。
梅田はこのウェブ時代を高速道路に例える。
ネット社会が生んだ、いつでもどこでも誰でも、
ネットを通じて勉強や研鑽を積む事が出来、
そのスピードはどんどん増している。
発信者としても、誰でもが自由に
発信できるという環境が開かれている。
極度に民主的な社会がそこにある。
ただ、高速道路の先は大渋滞していると梅田は言う。
これは過度の競争社会であるということを
置き換えて言っているのだろうか?
それを乗り越えるのに梅田はふたつの方法を提示する。
ひとつは、さらなる「高く険しい道」を進むこと。
これこそがプロフェッショナルと言われている人々が進んでいる道である。
将棋が好きな梅田は、その世界に置き換えて、
羽生善治のことを例に挙げる。
彼は、まさに「高く険しい道」を進んでいる人である。
もうひとつは、「けものみち」を進んでいくことと梅田は語る。
「けものみち」とは道なき道の例えである。
どこにどう道が続いているかわかりにくいのだが、
そこには先に進める道が必ずある。
その道を、勇気を持って歩き出せば、
「高く険しい道」でなくても、その先に進んでいける。
この道は、ベンチャーとか新しいビジネスモデルとか
ということに置き換えられるだろう。
そして、どちらの道もこれから我々が
進んでいかなければならない道であると梅田は示す。
しかし、その道を進んでいくのにはある種の条件が提示させられる。
めんどくさがらないこと。
自立心をもって、自律しながら時間を有効に使ってものごとを処理していくこと。
そのことが問われる。自発性と置き換えてもいいのかもしれない。
そのような自発性なくしては、この道を進むことは出来ない。
組織が何かやってくれるだろうとか、
与えられた仕事をやるという考え方の人たちは
新しい世界に向けて進んでいく事が難しくなるだろうと
梅田は何度も繰り返す。
ただし、ウェブ社会では好きなことを徹底的にやって
それがビジネスになるとも梅田は語る。
好きな事を徹底的にやることこそ、自発性の塊のようなものである。
そのためには「好き」なものを自ら発見することが重要になる。
学生時代にそれが見つかれば、そんなに幸せなことはないだろう。
そして、さらなることとして、ウェブ時代の公共性について梅田は言及する。
ネット社会が上手く機能すれば、世界の格差は縮小し、
自律し勇気のある人たちが等しく頑張れる世界になる!と。
実際、グーグルの思想は世界の全ての知や情報を整理整頓して体系化することである。
税金ではなく、グーグルの資本でそれを行っている。
マイクロソフトの一線を退いたビルゲイツは彼の何十兆という資産を運用して
彼の財団で生み出された資金を、どのように基金として世界に還元するのか
ということを日々考えている。
ここに、梅田が描くウェブ社会のひとつの理想系がある。
その実現に向けて、みんなで道を進んで行こうよ!
というのが本書の概略である。